子供たちは本当に「知りたがり屋さん」です。
「ママ、ボールはどうして丸いの?」
「これは、なんていう名前なの?」
「ママ、空の上にはなにがあるの?」
「ママ、なんで氷は溶けるの?」
ママ、ママ・・・・朝から晩まで質問ばかり。
好奇心旺盛で、なんでもやってみたい、なんでも知りたい・・・そんな子供たちは毎日いろいろなことを吸収していきます。
そして、何か新しいことを知ったり発見したり、できなかったことができるようになったりしたとき、彼らは本当に嬉しそうです。
そんな子供たちを見ていて思うのです。学ぶことって、こんなに楽しいはずなのに、どうしていつからか「勉強しないといけない」に変わってしまうのだろうって・・・?
この子たちにもいつかは、テストで良い点を取るために、たくさんの知識を丸暗記してうんざりする日がくるのでしょうか・・・?受験戦争で勝ためにできるだけの知識を頭につめこむようになるのでしょうか?
この「学ぶことの喜び」は、小さい時だけのものでしょうか?
こんなことを考えていると、いつも思い出すことがあります。
20歳の時に、私は教育実習のために、母校の中学校に行きました。
制服も、ジャージも・・・・懐かしい校舎も体育館も当時のまま。
時が経って変わっていたのは私だけでした。
私は、中学生の時、正直にいって、勉強は好きではありませんでした。しなければいけないのでしましたが、楽しいとは特に思いませんでした。好きなのは英語と音楽だけ。授業もあまり面白くないし、よい高校にいくために友達たちはほとんど皆、塾に通っていました。
初めて勉強がとっても楽しいと感じたのは短大に入ってからです。
公立の地味な学校でとてもハードなスケジュールでしたが、勉強や研究は本当に楽しくて「やる気」で取り組めました。
確かにそれまで勉強してきたからこそ、入りたい学校に受かることができ、そして本当の学ぶ楽しさを知ることができたのだとは思いますが、それまでの中学、高校・・・そして受験勉強はただのチケットを得るためのただの過程だったのでしょうか?
そんな疑問があったので、私の実習での目標は「勉強の楽しさを生徒が知ることができる」ような授業をすることでした。そう、学ぶことは楽しいですもの^^、本当は。やり方次第では。
私は栄養科だったのですが、他の教職のコースも専攻していたため、保健体育を教えることもありました。
…保険体育・・・・学生時代、これほど退屈な授業もありませんでした。
一番苦痛だったのは、先生がひたすら黒板に「・・・筋、・・・・筋、・・・・筋」と筋肉の名前を書き続け、それをシーンをした教室で、みんながノートに写している・・・・そんな記憶があります。
私が教えることになったのは、「応急処置」。
うん、これならちょっと興味はあるのではないかしら??
そして、いよいよ授業本番。
いささか、緊張したものの、やっぱり教えることは好きなのでワクワクしていました。
・・・ところが、生徒の反応ときたら、ひたすらノートに書き写す、テストにでそうなところをアンダーラインひく、質問は特になし・・・なんだか「学ぶ」というよりかは「こなす」とでも言った方がよいような・・そんなかんじでした。うーん。
そこで!
次の日に備えて、私はある実験をしてみました。
まず、ペットボトルを用意して、そこに赤い絵の具をいれ、水を一杯にいれる・・・・うしししし・・・。
「…先生、大丈夫ですか・・・??」
と声をかけられ、振り向くと隣のクラスの先生でした。あは。
放課後、誰もいない水飲み場で真っ赤な水を流しながら何やら楽しそうにしている私は、さぞかし怪しかったことでしょう(笑)。
さて…次の日。
昨日と同じように授業を始めると、いつものように静かに教科書を眺める子供たち。
教科書を読んでもらいました。
「血液の3分の1が体外にでてしまうと、生命の危機が・・・・」
「はい、ありがとう。はい、ここまでで、質問はありませんか?」
・・・・しーーーーーーん。皆静かに、「3分の1」というところに線を引いていました。いかにもテストに出そうですものね。うん。
今なら思うのですが、もし今うちの息子にそれを言ったら絶対に聞くでしょうね。「ママ、3分の1ってなに?いっぱい?」って。きっと知りたがるでしょう。
予想通り、質問はでませんでした。みんな次に進むのをただ待っているだけなのです。
「この数字、絶対テストに出るなあ!よし、マーク!」それだけです。
・・・よーし・・・。
「はい、じゃあ、先生から質問でーす。」
「人間の血液の3分の1って・・・・いったいどのくらいでしょうか?
①大きめのコップ一杯ぐらい
②ペットボトル1本ぐらい
③ゴミのバケツ1杯ぐらい
はい、どれでしょうかー??」
すると、さっきまで線を引いてばかりの生徒たち、顔を上げ始めました。
あれ・・・・そういえば3分の1ってどのくらいのことだろう?っと気がついた様子・・。
手を挙げてもらった後、「ジャジャ―ン!」と前の日に用意しておいた赤い水の入ったペットボトルを出しました。
生徒たちは「なんだそれー、気持ち悪りーーー!」と大喜び(笑)。
水でもよかったのですけどね・・・どうせやるならインパクトがあったほうが・・・なんて。血だし。
せっかく顔をあげてくれたので、私が思っていることを話しました。
「さっき、3分の1って言ったでしょ?皆それを聞いて分かったと思ったかもしれない。でも想像してみて。実際に人が倒れていて、出血している・・。助けなくちゃ!あ、学校でそういえば習ったなあ、確か3分の1出ていたらとか止血とか・・・。でも、実際に3分の1っていう数字を覚えていても、それがどのくらいなのか知らなければそんな知識、意味ないよね。テストではマルかもしれないけど、ひとの命は助けられないかもね。どうせ勉強するなら、知らなかったことを発見したり、できなかったことができるようになったら楽しいと思わない?」
私は、このときの生徒の表情を、いまでも覚えています。
「はっと気がつく瞬間」を見ると、教えるというこの仕事が楽しくてやめられない・・と言ったのは、私の大好きな担任の先生でしたが、このとき私はその感覚を味わいました。
それから、私が中学生の時に勉強がつまらなかったことも、もっと楽しめばよかったと後悔していることも話しました。
勉強は、学ぶことは本来楽しいことだと思います。覚えるだけならつまらないけど、「なんでだろう?」「どうしてそうなるのだろう??」という好奇心があれば、おのずと答えを見つけたくなるはずです。機械式に詰め込んでいく勉強法では、クエスチョンマークも出番がありませんよね・・・。
テストのためではなくて、「新しい発見」や「生きた知識、実際に使える知識」を目標にして授業を準備しました。心臓マッサージでは、テニスボールを使って、実際にどのくらいの力を入れて押したららよいのか皆でやってみました。(結構力がいるんですよね・・・これ。)
自分の経験もいろいろ話しました。私が小さいときメロンを食べていてのどに詰まってしまったとき、母がどのように対処したかとか(こういう話、妙に興味があるんですよね子供たち。笑)・・実際にアメリカで、授業でならった応急処置で10代の子が人命救助したという記事を紹介したり・・・いろいろやってみました。
教えることはとっても楽しかったです。
一番嬉しかったのは最後の日に、普段はあまり勉強しないという子達が「保健体育で、こんなにウケるとは思わなかったっす。楽しかったっす。絶対先生になってくださいよ。」(って・・・私漫才をやったわけじゃないんですけど・・・)と言ってくれたことでした。私が教師として優れているとも思わないし、向いているかもわかりません。でも、少なくとも「楽しんで学ぶ」という目標は達することができたので満足でした。
私が何を変えるとか・・・そんな大きいことを考えたりはしません・・・。(無理だし)
でも、今母親になって、子供たちが将来ただただ受験のためだけに勉強し、よい就職のためだけに大学にはいるのは、とても悲しい気がします。
子供たちの持っている、こんなにたっぷりの好奇心や探究心が、詰め込み式の勉強で消されないように見守れれば…と思います。
アメリカに語学留学に行った時は、とても面白い発見をしました。
15人ぐらいのクラスの中にいろいろな国の生徒がいるんです。
私のクラスは日本人、韓国人、ブラジル人、メキシコ人、ペルー人、アルゼンチン人、モンゴル人・・・本当に小さな地球みたいでした(笑)。
何を発見したかとうと・・・
学び方が国によってまるで違うのです。
少し黙っていなさいと言いたくなるほどいつも活発なのがサウスアメリカン。でも、彼らはすごいのです。文法が間違おうが知らない単語があろうがおかまいなしにどんどん英語を使っていきます。だから、上達が早いのです。
一方日本人は、指されるまで意見をいうことも特になく、とにかくおとなしい・・。
間違ったらいやだ・・と気にするのも日本人が多い。先生方はベテランで、長年日本人の生徒を見ているので、いつも「間違えることを気にせずに、どんどん話した方がいい」と励まします。そして、いつも「辞書を引かない!!」と日本人にいます(笑)。日本人は知らない単語があると、先に進まずに辞書をひくことが多いのだそうです。悪いことではありませんけどね、先生は文脈からGUESSするようにいつも言っていました。
さて、こんないつもは静かな日本人ですが、ものすごい力を発揮するのはやっぱり暗記もの。
「はい、今から10分あげるので、このイディオムを覚えてください!あとでテストします」
10分間で20種類を簡単にすべて覚えてしまうのはいつも日本人と韓国人。これは小さい時から訓練されているからだと思います。これはこれで素晴らしいことと思います。
ちなみに、10分間あったのに・・・と思うほど「暗記型」に慣れていない国の生徒は3~4問しかできなかったということも度々。面白いですよね・・・。話せるようになるのはすごく早いのに。こんなに違うなんて。
スペルミスが少ないのも日本人。読み書きが得意ではない国の人も多いです。話すのはペラペラなのに。
どちらがいいとか・・・そういうことではありません。
小さい時からの勉強の方法というのは、自分の身についているものです。
私が最も印象的だったのは、クラスで討論会をしたときです。
テストの点数はあまりよくなかったサウスアメリカンの友達たち・・・・すごいんです。ベラベラと自分の意見をどんどん英語で話していく・・・。間違いもあるんです。発音もよく先生に直される。でもこの人たちには、生きていく力がある・・・そう思いました。実際に生活の中で使っていけないのなら、語学も意味がなくなってしまいますものね・・・。テストはできても。
(もちろん、今の例に当てはまらないこともあります。
活発に発言する日本人もいますし、内気な南米人もいます。
でも先生は長年いろいろな国のひとを見てきているので、やっぱりそういう傾向があると言っていました。)
欲張りかもしれませんが、もしこの両方を取り入れて勉強することができたらいいな・・・と思うのです。もし、学んだ「知識」と、それを使っていきていく「知恵」をもつことができたらもっと「勉強」ということが楽しくなるのではないなあ・・・って。
ところで・・・
教えることに大きなやりがいを感じた私でしたが、結局教師にはなりませんでした。
絶対にできない・・・と思いました。残念ですが。学校のやり方がどしても私には納得できなかったのです。10年以上前のことですから、今の日本の教育法が少しは変わっているとよいのですが。
それは次回の(生活指導)編で・・・。